あっという間に夏休みが終わりますね。小中学生だと夏休みを感じた1ヵ月だったでしょうが、保育所や認定こども園は小学校のような夏休みがありませんので、普段と変わらない7,8月でした。違うといえば、ねぶた祭があるくらいでしょうか。5,6日にねぶたを観覧しに行きました。驚いたのは、国道の4つ角では、ギリギリまで交通規制がありませんので、前もって椅子や敷物を置けないため、沿道に皆さん一列に行儀よく並んでいるのです。警察官の方が、誘導し、前列が座ると、2列目、3列目ときれいに並んでいきます。
しかし、前の人が立ち上がると、もう何にも見えません。私よりも年配の人なのですが、隣にいる奥様も「注意」することなく、結局見えないので、場所を移動せざる得ませんでした。またカメラの脚立を陣取っているため、観覧する人が増えてきても後ろに移動することもないので、後ろにいる方たちも見えません。どうしたんでしょうね。最近は若い人の方が気が付いて、よけてくれたりするんだけど、年配の人の方が他者への配慮が低いような気がします。
サッカーの指導をしていても、他の子への配慮のある子もいれば、自己中の子もいます。その都度注意するのですが、高学年になるとなかなか直りません。サッカーの試合は、決して楽ではありません。疲れてくれば走らなくなります。ボールを直接ドリブルしたり、奪ったりすりよりも、ボールのないところでの守備や攻撃が大きなウエートを占めます。結局、『嫌なこと、やりたくない事』をすることがメインのスポーツなのです。これを片付けと照らしてみると、やはり、片付けをしない子は、その時ばかりのプレーです。気分やのようなプレーですから、安定していいプレーはできません。逆に、片付けで苦労している人の気持ちを察することのできる子は、ゲームでも困っている人を助けるプレーができます。集団スポーツであるサッカーは、とりわけ、こうしたカバー能力のある人が多ければ多いほどチーム力は高まりますし、大崩れしません。身体能力で差をつけれるのは小中学生まで、それ以降は、他人の心がわかる『認知能力』の高い人が成功します。見えることよりも見えない部分を評価するのも、指導者の大きな仕事だと思います。